からすぶろぐ

雑多な長文

OILPRICE.COMに出会う

私は数年前から英語学習を続けている。

 

が、最初に比べるとペースが落ちている。問題ははっきりしていて、それは教材の選定に起因する。私はリーディングを学習の中心に置くのだが、そのために使用する読み物を選択するにあたり、自分のスキル水準に合ったものと読みたいものが全く一致しないのである。もう少し具体的に言うと、私のリーディングレベルはせいぜいネイディブの小学生~中学生並みぐらいだが、小学生用の英文は幼稚すぎて興が削がれるため、学習が長続きしないのである。


この問題にぶち当たって学習ペースがピークを過ぎると、別の問題が起こった。一昨年前だと仕事が忙しかった。去年から今年にかけてはトレードの研究に時間を費やした。おかげで学習時間がほとんど失われてしまった。現状では1日平均が10分ぐらいだ。細々としたものである。

 

私は何を読むべきか?打開するすべは見つからないまま日々が過ぎていった。しかし、ごく最近になって変化が訪れた。
 
きっかけは3月の原油価格下落以降、エネルギーセクターの米国株を買ったことに始まる。シェブロンその他有象無象のボロ株を買ったものの、石油業界の事情にうとい私は情報収集を始めた。調べ始めるとリサーチの作業がかなり面白いことに気付いた。そもそも石油は米国においては主要な産業の一つであり、その市場は多様で大規模であり、それに伴って本国の情報メディア分析メディアは非常に発達している。ニュース記事は言うに及ばず、手間暇かけて作成される分析レポートも日々山のように生み出されている。私がこの石油情報の洪水を気に入る理由は、様々な知的分野にまたがって議論するケースが多い点にある。石油は掘削の「テクノロジー」からそれを商業化するプロセスが重要だが、それ自体を巡っていくつも戦争が起きるほど「政治」的に重要な物資でもあり、したがって社会全体に与える「経済」インパクトも大きい。エネルギーセクターにおけるニュースやレポートは、単に市場の統計分析のみに留まらず、石油掘削技術と市場価格との関連、政治情勢から技術投資への影響、あるいは市場・政治・技術・すべて巻き込んだ議論など、基本的に単独の分野だけで議論が完結しない。読み始めて気付いたのだが、私の趣味趣向はこの手の分野横断的な話にマッチするようだ。読んでいてかなり楽しい。
 
さて、エネルギーセクターの情報メディアの渡り歩いていくうちに一つのウェブサイトに出遭った。その名もOILPRICE.comという。"The No.1 Source for Oil & Energy News"という謳い文句が真実かどうか私に知るすべはないが、文章の質は高いと思う。4月の終わりごろから1日も欠かさずこのサイトの記事を読み続けていて、私のお気に入りのメディアだ。このサイトはニュースサイトだが、よくある他の報道機関の記事の寄せ集めではない(情報の引用・リンクはある)。自前でライターを雇って記事を生産している。多くのライターがいるようだが、情報の密度は高く、記事内容も統一感がある。文章はもちろん平易ではないが、毎日読めば業界ならではの文脈は掴めるようになるので意外と理解できる。しかも最近は翻訳ツールが発達しているので、読解に詰まっても機械翻訳のアシストを受けられる。
 
リーディング学習量の目安として一般的に言われるのは年間100万ワードだ。1日換算3000ワードとなる。Oilpriceでいくつか記事を読み通すと概ね3000に到達する。現状の自分には文章が難しいし読解が遅いので機械翻訳を頼るケースが多いが、毎日読んでいくうちに自然に読みこなす量が増えている。このペースが続けばトレード情報と英語読解力の一挙両得が見込める。

 

今私はその岐路に立っている。目論みの成功は、原油&エネルギーセクターのトレード成否にかかっているが、果たしてどうなるだろうか?

新型コロナウイルスは感染拡大するか?

私は、何年か前から株式投資をやっている。

 

今年2020年に入ってすぐのこと。中国から新型ウイルス感染拡大の懸念が持ち上がり、株式相場はその後、2月初めまでに2回ほど――今から考えれば――小さな下落があった。その後暴落があり、3月中頃から4月現在までは戻り歩調をたどっているところだ。

 

私はこの間、投資家(短期トレーダー)の一人として相場の動きをつかむために、ウイルス被害の実態について日々情報を取得し、考えを巡らせてきた。このウイルスは毒性はどの程度か、感染はどの程度するか、いつから広まり始めたか、感染が広まる人的規模どの程度か、感染の及ぶ範囲はどの程度か、感染はいつ終息するか。これらの疑問には解答がなされたものもあるが、なされていないものもある。

 

さて、あしかけ4か月余りにわたってこの騒動を見守ってきたが、現状の成り行きを見ていて奇妙に感じることがある。

 

現在日本では、政府が緊急事態宣言を出して外出自粛要請(何度見ても醜い日本語)をいくつかの自治体に行っている。政府のこの対応策には批判があり、宣言対象の自治体を増やせというもの――すでにいくつかの自治体は独自に宣言を行った――や、より強力な都市封鎖措置をとれ(下のリンク先参照)という意見が多いようだ。

 

https://kyodonewsprwire.jp/release/202004068822

外出禁止令を発令することの賛否を調査したところ、全体の74.9%が「賛成」と回答しました。

 

ただ対応には賛否があるものの、政府から一般市民の意見まで共通する懸念は、4月のこの後に日本では新型コロナウイルス感染が拡大するという点だ。

 

私はこのウイルス拡大のピークはすでに終わり、現在は終息に向かっていると思っている。なので、日本政府や世間の人々の反応に驚いている。

 

 

いや、驚くべきなのは私の考えの方かもしれない。おかしいのは私だけなのかも。

 

まず単純な事実を整理したい。

 

中国武漢新型コロナウイルスの規模が拡大したのは1月。それが韓国に飛び火したのが2月。イタリアで感染者激増が確認されたのが3月入った頃だ。それから欧州全土に広まり、米国に波及してニューヨークでは3月下旬頃から感染の増加が顕著になった。

 

では日本は?

 

発生した中国との地理関係や中国人の往来具合から、韓国と同じ時期に感染拡大のピークがやってきたと考えるのが自然だ。韓国の感染は2月でピークアウトし、3月初めでほぼ終息している。だから日本の感染も終息したはずだ。あるいは、仮に感染爆発が起きたのなら、今頃は火葬場がパンクしているはずだ。しかし、現実には日本国内で死者が顕著に増加したという話はない。航空各社の国際便もほとんど止まっているなか、この後米国や欧州から誰かがウイルスを運んでくることもない。感染が広まらなかった理由はよくわからない。しかし、危機は過ぎたのである。

 

 

とまあ、自分で納得するだけならこれだけで十分だが、この誰も訪れないブログ――開設から3年間で424人がこのブログを閲覧した――を熱心に読みあさる奇特な方がいるかもしれない。また、私自身が将来これを読み返すかもしれない。そのとき、どうしてこのように考えたのか道筋をたどれるよう、感染拡大が終わったと考える根拠をもう少し書き足してみたい。

 

まず、感染拡大懸念の根拠として挙げられるのは、感染数の増加であろう。感染者数の推移はここから↓確認できる。

https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

 

日本での1日の感染者数は3/1は9人だったのが、3/15は63人、4/1は220人、4/15では355人と徐々に増えている。しかし、同時に検査数も増えている。PCR検査人数の表からは3/6で699人、3/24で3862人、4/14で9669人と確認できる。数値の推移が連動しないので把握しづらいが、PCRの検査人数に対して、コロナ陽性となった割合はざっくり5~15%で、検出率は当初から現状までであまり変わらないことが見て取れる。

 

PCR検査の検査体制は2月から今まで検査対象の全体数に対してまったく不足している。だからPCR検査人数とは検査できた最大人数ということになる。検査体制は徐々に拡充されているそうなので、1日当たりの感染者数はまだ増えるだろう。しかし、それで日本にいる感染者数の全体が増えているとは言えないだろう。ただし、減少した場合は感染者数が減ったということができるかもしれない。また、検出率を大きく上げることは難しいと考えられるため、1日の感染者数がある日10000人増えるということがあり得ないこともこの表からわかる。

 

検査体制の変遷との関係から感染者が増加していると言えないという立論は、少し弱い主張かもしれない。感染者数が減少しているとも言えないからである。そこで、もう少し材料を追加してみよう。

 

実際のところ、検査にあぶれているコロナ感染者数はどのくらい存在するのだろうか?素人ながら単純な計算をしてみたい。

 

まずコロナウイルスとは風邪のウイルスである。風邪の原因ほぼ90%がウイルスらしく風邪ウイルスは200種類以上いるそうだ。また、人は1年間で3~6回風邪をひくらしい。↓

https://www.daiichisankyo-hc.co.jp/health/symptom/01_kaze/

 

これらの前提をもとにすると、一つのウイルスの感染者が日本にどの程度いるのかざっくりと見積もれそうだ。日本の人口を1.3億人、風邪ウイルスをざっくり300種類としてその一つを今回の新型コロナと仮定すると、年間3回風邪ひいたとして1日あたり3,562人、ひと月あたりだと108,333人か。

うん、なんかこの数字だけだとピンとこないな・・・。

 

 

アプローチを変える。

 今回のコロナウイルス。罹患を確認する際、医者が問診するだけでは全くわからないので検査の必要があるのだが、それは普通の病院では受け付けていない。検査希望者は帰国者・接触者相談センターを通じて検疫所や保健所で検査が行われているようだ。しかし、これまでのところ検査の実績数があまり増えていない。ということは、検査希望者がいても相当数が拒否されていることだ。

 

↓がその拒否数の実績らしい。

https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000619807.pdf

 2月から3月までの相談件数313,475件に対して、受診までこぎつけたのが16,730件、さらに検査まで到達できたのが12,595件だ。つまり、コロナに罹っているかもと考えて検査を希望しても、医者に診てもらえたのが5%で、検査できたのが4%ということだ。

 

医療崩壊」を防ぐ云々だとか言っておいて、大量の罹患の疑い者を野放しにしていたのだから本末転倒な酷い話だ。しかし逆に考えると、この状態を2か月も許しておいて特に破局的な事態も起きたという話もないのである。肺炎患者が極端に増えたという話もない。死人が多すぎて火葬場がてんてこまいという話は全くない。ということは、やはり危機は来なかったと解釈できるのだ。

保育園はなぜ増えないのか――少子化対策しているのに待機児童が解消しない理由――

この問題を考えるとき、いつも奇妙に思うことがある。

それは、政府は少子化対策を大々的に行いながら、なぜ待機児童の解消に消極的なのかということだ。

 

この点について、ふと思いついたことがあるので書いてみる。

 

 

 

保育園は厚労省の管轄する公立の施設である。だから政府政策によって方針が立てられる。

現在の日本政府は少子化解消を計画に掲げている。施策の一つとして子育て支援も行っている。なので子供の育成環境の整備には積極的に取り組むはずだが、実態では予算を出し渋っていて、保育園の数は増えないし、保育士の待遇改善もなされない。これは矛盾しているように見える。

 

しかし、よくよく「少子化」を考えてみるとそうとも言えないかもしれない。それは少子化の原因を考えたときに思いついた。

 

さて、少子化とはどのような原因で起こるのか?

原因はいくつもあるが、大きなものの一つは「女性の社会進出」だ。女性が社会進出すれば晩婚化する。女性が妊娠できる年齢はある程度決まっているので、晩婚化で初婚年齢が上がると出産可能な期間も縮まる。結果社会全体の出生率が低下する。

 

「晩婚化」の影響は少子化にとって非常に大きな影響を与えるが、それは簡単なシミュレーションでわかる。また、晩婚化は厚労白書でも指摘されている事実なので政府関係者は当然認識している。

 

この点が保育園の環境整備への予算拡充の障壁になっているのではなかろうか。

 

どういうことか?

 

例えば政府中枢の政策立案担当者の頭の中は以下のようなものかもしれない。

 

少子化解消策の方向性として、一般市民に対して出産を促すことが挙げられる。そこで乳幼児の育成環境整備に取り組む必要はあるのだが、一方で女性の晩婚化を後押しする政策を行うと逆に少子化が進んでしまう。そこで、出産する家庭をあらゆる方面で優遇するのではなく、施策は出生率の上昇が期待できるものに絞り、一方で女性の晩婚化につながるものは排除するべきだ、と。

 

保育園関連への予算拡充は晩婚化に直ちにつながるわけではないが、女性の社会進出には直接の影響があり、遠からず晩婚化を押し上げる可能性がある。だから、保育園をあまり重視したくないということだ。

 

 

どうだろうか?この解釈。

バッティング練習の効能

ソフトボールの練習をしている。

職場で11月にソフトボール大会をやるはずだったが、雨で流れて来年3月まで延期になった。直前まで追い込んで練習していたのがそのまま継続されたという展開。

 

ここ数週間はバッティングの練習が多くなっている。

大会予定日直前に初めて行ってみたバッティングセンターで空振り連発して以降専ら素振りにいそしむ毎日である。

 

しかし、数回の(初心者的な)ブレイクスルーを経た現在、ヘッドの下がりが抑えられて徐々にスイングスピードが増してきた。

初歩段階ではテニスのバックハンド内をベースに素振り用の長尺バットでフォームを作り始めたが、そもそもそのバックハンドの打ち方に問題ありで、ヘッドを立たせるにも苦労する有り様だった。押手側の肩(左打ちなら左肩)を下げる事でダウンスイングがレベル寄りに改善してから成長が始まった。

数年前に買ったバッティングの技術本を改めて読んでみてこれはあまり役に立たなかったが、ヒマラヤスポーツのウェブサイトは参考になった。

これ↓

WEB野球教室-スポーツ・イベント情報|ヒマラヤ himaraya

 

構えからトップまで関節の角度やグリップの細かい位置など、型を知らない初心者にはありがたい内容だった。

 

このまま練習続ければバッティングセンターに再挑戦する日は近そうである。

 

 

 

さて、左打ちのバッティングの練習をしていて気付いたことがある。

両手を使ってスイングするバッティングにおいて、引手と押手は役割としてどちらがより重要かという議論があるらしいが、私が練習を通して感じたことは押手の方が筋力面での寄与は大きいということだ。単純に押手の方が引手よりひじを高く上げることもあるが、なにより押手はバットのヘッドが下がらないように常に支え続けなければならない。この点で押しつつ支え続ける押手の方が引くだけの引手より働き者であるように思う。

 

テニスの練習をしていてフォアハンドでスイングする右腕ばかりが太くなるのが悩みの一つであったが、左打ちのバッティング練習でこれが矯正されていくという期待が生まれた。3月まで頑張って素振りしていきたい。

昭和史講義(ちくま新書)――読中

先日の衆院選挙直後のころ。 

新聞読んでたら政治学者の対談記事があった。なんでも戦前にも2大政党制があったそうな。結末が515でああなったなわけだからまあ失敗なわけだが、その失策の過程が最近終わった2大政党時代の状況と似ているという話題だった。 

少し興味がわいたので本でも探して掘り下げてみようかと検索してみた。 
対談に登場した学者の著作をあらえばいいだろうと思った。 

が、調べてみるとあまりよろしくなさそう。ウィキってみるとこの学者はアジることの好きな人物でイマイチ信用が置けなさそうなのだ。 

あてが外れてしまった。 
しかもアマゾンレビュー眺めてるうちに当時起きたことのあらましは理解してしまった。学術系は優秀な人多いからレビューなぞってるだけでそこそこ内容わかっちゃうんだよね・・・。この時点で2大政党はもう半分以上どうでも良くなってしまっていた。 

本を物色する中、アマが推してくる関連書籍で「昭和史講義」という新書が浮かび上がった。 
タイトルだけ聞くと概要なぞっただけのように見えるが、内容は歴史学者が書いた本格的な内容。だから先月読んだ応仁の乱と同じく軽くはなさそうに見える。「応仁」と違うのは大量の学者を投入している点だ。昭和史研究は内容が細分化し過ぎて単独で通史を作るのは難しいらしい。なので、テーマごとに若手中心に担当者を割り当て集約して「講義」という名目を取ったということらしい。現在、「昭和史講義」は3巻まで出ている。なかなか売れてるようだ。歴史修正主義への反動需要ということか。 

結局これを読むことにした。 
現在2巻目の後半まで読み進めたところ。3は人物伝で面白くなさそうなので2巻までで終わりにする予定だが。 


内容のざっくりな感想としては「応仁」より読みやすいということか。というか、そもそも「応仁」は内容がとんがりすぎていたと思う。あちらは古文書投げつけられていきなりレクチャー始まる感じで、高校の中世史を真面目に勉強した程度の知識では歯が立たない。その点「昭和史」は文献整理して論点まとめてるわけだから、随分印象が違う。高校の日本史勉強してたらだいたい内容は追える。まあ現代と近い世界でもあるしね。 

しかし自分の身の回りの社会状況への認識という点。近現代史歴史観や現在の政治経済への解釈という点では「応仁」をはるかに超えるインパクトを自分に与えた。いや与えている、か。現在も進行中だ。読み始めた当初は「応仁」ほどのインパクトはないだろうと思っていた。政党政治のとこだけなぞるのが目的だったから期待してなかったし。それがどうしたことか、昭和前期の世相や政府中枢の「変遷」が自分の感覚の中で実体化したような気がする。現代世界と近い世界だからか?そもそも情報量が多いから? 
以前は雑多に並んでいた松岡洋右とかノモンハン事件とかの各歴史用語が有機的なつながりを持ち始めたというか・・・。そういった知識の整理整頓に傾いてるせいか、読んでる時間より読んだ内容を消化する時間の方がはるかに長くなってしまっている。 


英語のリーディング学習もさっさと進めたいんだけどなあ…。10月中にHarry Potter読むつもりだったのに完全に完全に遅れてしまっている。でも自分の人生的にはハリーポッターの文章解釈できるより、関東軍が暴走した理由を説明できる方が大事だろうしなあ。

そろそろ終わりにしたいが、どこまで引っ張るかね。

 

 

Uncle Tom's Cabin 読了

「アンクルトムの小屋」英語版を先ほど読み終えた。

4月初旬から始めて今が8月中旬だからすでに5か月弱経過したわけか。

時間かかりすぎ・・・。

 

そもそもなんでこれ読むことにしたんだっけか?

 

記憶をたどってみると。

 

現在私が進めている英語学習において、洋書を読むことによってReadingスキルの向上を図る目的があった。Amazonのほしいものリストにあった書籍のうち、海外からの翻訳本から適当なものを探した。アンクルトムは古い翻訳しかなく絶版が多いため、値段が非常に高かった。特に自分がリストアップしたものは当時3万円と、目球が飛び出るほどの額だったので、洋書でさらに電子化したUncle Tomを選択することは経済的に意味があった。またUncle TomのEnglish Versionは非常に数が豊富で適切なLexile指数――英語書籍に設定されている英語の読解難易度のたぶん国際的な指標――の書籍を選択しやすかったこともある。

 

さらに記憶をたどるとドラえもんに行きつく。

ドラえもんを読んだとき、名前を忘れたが楽に読書する道具があってのび太出木杉君を訪ねた際に紹介された活字本のひとつが「アンクルトムの小屋」だった。歴史の教科書では文化史で19世紀の文学に羅列されてたから名前は知っていたが、名前の響きからもっと牧歌的な内容を想像していたのに彼の説明では「奴隷制度を鋭くえぐった内容」だそうで、意外にハードな内容だったのが印象に残っていた。

時が経ち、そのことを思い出したのでAmazonで検索したら値段が高かったので、政治的に同じく米国の黒人奴隷制度を批判しているフレデリック・ダグラスの自伝――元奴隷から反奴隷制度の社会運動家に成り上がった人物。こちらも世界史学習中に知った――だけを読むことにして、アンクルトムはほしいものリストに放り込まれた後数年して英語学習を開始して現在に至るというわけだ。

 

 

で実際読んだ作品が↓ね。

www.amazon.co.jp

 

表紙の感じからして簡単そうでLexileも650――小6程度らしい――と低い。これならいけそうかと始めてみたが、単語が全然わからぬ。

 

小学生水準の言葉が何故こんなにわからないのか?

考えるにこれは私の守備範囲外の分野の言葉が多いからであろうと推測した。

 

この作品。内容をざっくり説明すると、ある何人かの黒人奴隷がいて彼らが良い主人に会ったり悪い主人に遭ったりして、仕えたり逃亡したりぶち殺されたりするもので、トムさんはその奴隷の中でも信心深い博愛主義者だったという話。

で、そういう内容であるからして登場する語句は冷酷な主人が奴隷を痛めつけるとか家族を引き裂かれたどれが泣き叫ぶとか礼拝するとかという表現が19世紀米国南部の生活描写とともに何度も繰り出されるわけだ。けど、こちらの知ってる表現は教科書英語がほとんどでネガティブなニュアンスの言葉や宗教用語は全然習ってない。tormentとかhymnとか言われても何が何やらだ。

 

けど、Kindleには辞書もついてるから何とかなるだろと頑張って読む進めたが、わからない単語があまりに多すぎて開始後2週ぐらいして心が折れた・・・。

 

まあその後リブートしたので今があるわけだが、再開にあたって何らかの工夫を必要だった。そこで登場語句を片っ端から暗記することにした。

自分の英語学習に使っているウェブ辞書のWeblio、単語学習アプリのiKnowに不明単語を全部ぶち込んで暗記と読解を同時並行することにした。

英語学習の定石としては、リーディングに際してはわからない単語があってもそのまま読み進めるべきという考え方があるので、単語暗記を熱心にやるのは良い方法とは言えないのだが、自分のケースに関してはそれで最後まで読めたわけだから間違いではなかったのだろう。

 

読解を再開したのは6月終り頃。そのあと2か月かけて読み終えた。集積した登場語句は関連表現合わせて600個程度まで膨らんだ。読み進めながら気づいたが、この本の内容、日本語化するとたぶんすごく短い。2時間ぐらいで読めると思う。その程度の分量に不明表現が600もあるわけだからそりゃ心も折れるわ。たぶん単語暗記開始時に600個という数を知っていたらこの作品はそっ閉じされていたと思う(笑

 

 

さて英語学習の大変さをずいぶん語ってしまったが、私がこの作品をAmazonリストに載せたのはそもそも英語学習のためではない。私自身が奴隷制度の実態に関心があったからだ。で、簡易ではあるものの著名作品に触れたおかげで私の内面で改まったことがある。それについて少し書こう。

 

私はこれまで海外欄のニュースを通じて米国での反黒人差別の社会運動を見てきた。しかしそれに対してパフォーマンス的な印象を持っていた。脚色された大げさな感じがして少し嘘くさいような感想を持っていたわけだ。けれど、アンクルトムを読んだ後では少し見方が変わった。なぜなら、その「大げささ」の起源がおそらくどこから来たのか理解したからだ。この作品がそれである。

アンクルトムは小説、フィクションである。先に読了したノンフィクションであるフレデリック・ダグラスと比較して著しくデタラメだとも感じないが、キャラクター性を強調しているとは思える。要するに善玉と悪玉がはっきりし過ぎているのだ。

虐げられる奴隷たちはおおむね善人で使役する何人かの主人や奴隷商人は極悪人のクズ。ダグラスの話によると奴隷を退屈にしのぎにぶち殺すような極悪主人は実際存在したらしいのでこうした人物像はデタラメではないのだが、それにしてもクズが多すぎる気がした。頭おかしいんじゃないかというのもいたし・・・。

けど、全体として話がよく練られて完成度が高いから、「フィクションだよな」と思いつつもクズ商人には怒りを覚えるし、トムさんの博愛主義に感動するわけだ。私自身読解というよりは解読に近い読書の中で泣きそうになったシーンがいくつもある。それほどの力がこの作品にはあるのだ。

 

だからこそか。この作品は米国・英国社会に非常に大きな影響を与えたそうだ。初年度に50万部を刷ったというから大変な人気だが、のちにエイブラハム・リンカーンが著者であるハリエット・ビーチャ・ストウと会談して「あなたが南北戦争を起こした張本人ですか?」と尋ねたらしいので、そこからも影響の大きさが窺える。

またこのエントリーの最初の方に少し書いたように、この書籍を購入した際非常に大量の英語版が検索されたわけだが、そのそもそもの理由はこの作品が過去から現在に至るまでの米国政治に重要な影響を与えていたためでもあるわけだ。

 

アンクルトムにの小屋には様々な人物像が登場する。そこでは奴隷制度をめぐっての多様な見解が披露され、その中で奴隷制度は結局悪なのだということが浮き彫りにされていく。こうした過程が政治的なアジテートの効果をもたらしたのであろうということが読んだうえでの私の感想だ。

 

アンクルトムの読解お休み中にマーティン・ルーサー・キングの「I have a dream」演説の書き取り練習をしていた。これも非常に優れた内容だが、それ以外の演説と比較するとパフォーマンスチックなところがあるのも確かなんだな。

 

 

長々と書き連ねて何が言いたいかというと、現在まで展開されている黒人社会による反人種差別運動の特徴的な空気はハリエット・ストウ以来のこの社会の「伝統」なのではないかということだ。そう思えばパフォーマンスも感慨を持って見ることができるのである。

長尺

趣味でテニスをしている。

テニスラケットは27.5インチサイズのものを使っている。多くのテニスラケットは27インチなので少し長い。

自分はヘッドスピードが少し上がるからと考えてこの長いラケットを使うのだが、昨日とあるブログで「そうしたロングラケットを使うのは無意味だ」という意見を発見した。

 

そのブログには計算式も添えられていた。なんと0.5インチ分の延伸ではたったの0.036km/hしか上昇しないそうだ。この途方もなく微小な値に自分は大層驚いたので、慌てて独自に計算してみた。そしたら全然違う値が出てきた。というかブログの計算式間違いだらけだった・・・。

 

それでひとまず安堵した次第だが、最初にブログを見た時にショックを受けた手前だんだんとやり込めたい気持ちが出てきた。それで、ブログ主に間違いを指摘するべくメッセージをしたためた。さて、いざ送る段になって送る先のメール欄を探した。

 

 

が、ない!

いくら探してもない。

 

なんとブログ主にメッセージを送る機能がどこにもないのである。

 

グーグル先生に聞いてみたが、やはりない。どうやらブログエントリーごとのコメント機能を削除すると、外部ユーザーからコンタクトをとる手段が一切ないらしい。
内部ユーザーならかろうじてポイント送信にメッセージを添えるという機能はあったが、そこまでして送るほどの意思は自分にはない。そもそも贈答の気持ちがないのに、見ず知らずの人間にそんなメッセージを送ることはできない。

 


なんともはや・・・。

これはブログサービス側の炎上対策なのだろうか?最近のブログには外部からの言語的接触をシャットアウトする環境が標準装備されているということか?それともこのブログ主だけの特別仕様か?でもグーグル先生に聞いても通常のメッセージはなかったから、やはり常設されていないのだろう。

 

う~む。
しかし、こういった機能に問題を感じる人々は多くないのだろうか?ブログ内容に明らかな間違いがあるなら、指摘してもらった方がよくないか?
ブログ主は誰からも教授されることなく、陰でクスクス笑われるべきだというのか?あの計算の間違いは結構ひどいぞ?

 

 

なあ?はてなブログさん。

ちょっと考え直した方がよくないかね?